SSHブログ

SSH活動日誌

つくばサイエンスツアーを実施しました

8月4日(金)、1年生のSSクラス希望者を中心とした40名で、つくばサイエンスツアーを実施しました。

見学施設は、筑波実験植物園・JAXA筑波宇宙センター・地質標本館・サイエンススクエアの4施設です。
最先端の科学技術に触れることで、科学技術への興味・関心を高め、幅広く科学の知識を習得し、研究に対する意識をより向上させることを目的とし、実施しました。
途中、筑波大学の広い構内をバスで一周し、充実したツアーになりました。

 

<生徒感想>

・(率直な感想は、時間が足りなかったです…少なくともあと2時間は欲しかったです。)
今回僕が1番行きたいと思っていたのは(両親が“宇宙兄弟"を読んでいたり母が宇宙,ロボットに興味があってずっと行きたいと言っていたのもあって)JAXAでした。もともとテレビで展示物を見たことはありましたが、実際に見てみるとまず人工衛星やロケットの大きさに驚きました。解説を聞きながら色々見て回ると、断熱材がテープでくっついていたり、エンジンのサイズや、ペンシルロケットというセンチメートル単位のロケットなど実際に見て驚いたことがたくさんありました。短時間でしたが宇宙はいいなと思いました。
今回は楽しめましたし、まだまだ知らないことがたくさんあるなと感じました。正直、高校の理系教科は中学より複雑な内容が多くなって難しいと感じるようになったのですが、反面今日のようにかなり楽しい部分もあったので、楽しんでやることは大事だなと感じました。

・実験植物園では、各温室によって生息地が異なる植物が植えられていて、見たことのないさまざまな世界が広がっていて感動しました。また、普段よく見る言葉が入った名前の植物がたくさんあり、楽しかったです。屋外では、さし木や接ぎ木によって残されたメンデルのブドウの木や、ニュートンのリンゴの木も見ることができて、面白かったです。
JAXA筑波宇宙センターでは、日本の宇宙進出の歴史や、科学技術の発展について学ぶことができ、宇宙の無重力空間の中での発見が地球で暮らす人々の生活に役立つということを改めて学び、感じることができました。
サイエンススクエアつくばでは、kgやmの定義であった物のレプリカを見ることができてよかったです。また、新たな素材の開発や、日常生活にありふれている問題を解決できるような技術について知ることができて、人間の発明はすごいと思いました。地質標本館では、今まで見たことのなかったたくさんの鉱石や化石を見ることができて、それぞれの鉱物の特徴を知ることができたのでとても興味深かったです。また、随所にあった日本と関係する大陸の活動についての展示や日本の地質図の展示によって、日本の火山の分布や地震の発生とプレートの関係について以前よりさらに知ることができてよかったです。

・実験植物園は温室の中の熱帯や乾燥帯の植物や池の眺め、JAXAはISSやロケットの模型、サイエンス・スクエアはバイノーラル音声とステレオ音声の違いや色彩の展示、地質標本館は鉱石やプレートについての説明が印象的でした。初めて見る物や知らなかったことが沢山あって楽しかったです。
植物園では、普段利用するものの元の姿や、珍しい形態や生態の植物を見ることができてよかった。特に、世界一小さい花をもつミジンコウキクサと世界一大きい花をもつショクダイコンニャクが同じ科の中で進化したというのが面白いと思った。宇宙センターでは、実物の人工衛星や宇宙服などを見て、人間の知恵と技術力の高さを感じた。筑波サイエンススクエアでは現在の最新の研究を知り、視野が広がった。地質標本館では地球の歴史や、現在の地形などについて知ることで地球の神秘を感じた。

・筑波実験植物園では、熱帯のなかでもサバナ気候と熱帯雨林気候で分かれて展示されていて、雰囲気が全くちがかったのがおもしろかった。食虫植物は初めて見た。日本の植物の1/4が絶滅種(か危惧種)に指定されていると知り驚いた。文字展示でおもしろかったのは、海岸に生えている植物は海にのって種子が広がるので分布が広い、つまり国が違っても海に生えている植物は同じものがあるということだ。世界旅行に行っていないのに世界の植物があって、その環境がそろえば植物は育つものなのだなあ、と感じた。
JAXA筑波宇宙センター展示館では、職員の方の解説を聞きながら展示物を見た。職員の方の、その宇宙開発産業への熱い思いや愛が伝わってきた。たくさん知識を持っていてそれを人に伝えることができていた。宇宙開発産業にはあまり関心はなく無知だったが、職員の方の説明のおかげで、ロケット開発がどう行われてきたのかや、JAXAの方たちの仕事の様子や、小惑星にはやぶさを送ったのはなぜかなどが分かった。子供たちがたくさんいて自由にのびのび見学していたのが印象的だった。
サイエンス・スクエアつくばでは、色々な技術に触れることができた。とくに脳波で難病の患者さんが伝えたいことがわかる装置はとても画期的だと思った。研究とその実用化にはとても時間がかかっただろうと思う。産総研は国立の研究所だと知った。
たくさん勉強になったので参加してよかった。

・生物、化学、物理、地学のそれぞれの分野を専門的に調査する場所に足を踏み入れ、とても良い経験になった。中でも「サイエンス・スクエアつくば」での一つの装置に興味を引かれた。
 手足に力を入れると電気が流れることを示してくれる装置である。電気が流れることを生かし、機械に繋ぎ、本能のままに動く義手を作ろうと考えているそうだ。
これは生まれつき障がいで手がない人、戦争などで手足を失った人など義手を必要とする人に生命活動によって生じる電気を使い、普通に生活できる手助けとなる画期的なアイテムであると感じた。
こういった何気ない理科が助けを求める人の手助けとして変わるかもしれないを改めて知ることができた。

国際英語プレゼンテーション大会(START2023)

 去る7月22日(土)に山形県立東桜学館中学校・高等学校を会場として行われた、国際英語プレゼンテーション大会(START2023)に参加しました。この大会は、学校在学中に行った個人やグループの探究・研究活動の内容を英語で発表及び質疑応答を行い、審査により研究テーマごとに分かれた5つの会場で1位と2位が表彰されます。

 本校では、3年武田・薄井ペアーが第5会場に参加し、「Fave and Study Motivation」というテーマで、お気に入りと勉強のモチベーションの関係 についてプレゼンしました。

<発表の様子>

 

 

 

 

 

 

 

 

 

第5会場では7校が発表し、その中で1位を受賞しました。

※全体の参加校は国内14校、海外から4校の計18校

 

<大会参加者集合写真>

 

 

物理オリンピック予選 2年生1名、3年生1名が突破

今年度、物理部2、3年生6名が物理チャレンジ(物理オリンピックの国内予選)の1次試験に挑みました。
見事2年生1名、3年生1名が国内2次試験に進みました!!

1次試験はレポート課題(振り子の周期の角度依存性の測定)と
筆記試験(物理の3年の内容まで含む、難易度の高い試験)からなり、
例年1000人以上の参加者が100人まで絞られます。

安積高校としては3年連続の1次試験突破であり、2年連続の2人突破となります。
2年生の生徒は2年連続の突破です。本当におめでとう!
3年生の生徒はラストチャンスを掴みました!物理に向き合っていた結果です。
そして、全員で協力してレポート作成しないとこの成果は現れなかったと思います。全員頑張りました!!

2名は2次試験に誇りをもって挑んでください!!全国レベルの参加者にもまれ、大きく成長すると思います。

 

 

<物理オリンピック1次試験突破者>
令和3年度 2年生1名
令和4年度 1年生1名、2年生1名
令和5年度 2年生1名、3年生1名

福島の復興と放射線についての授業2023

7/24,28に福島の復興と放射線についての授業を実施しました。
今年は他校からオンラインで参加がありました。

◎参加者
本校希望生徒50名、白河高校1名
担当:本校物理教員

◎目的
放射線とは何か知り、福島県の現状について把握すること。そして放射線の知識を土台として、現在の福島県の課題(廃炉、除染と除染土の処理、風評被害・偏見)を科学的・社会学的に分析し、自分の意見を持てるようになること。

◎授業内容
<第1章>放射線の基礎 : 放射線の正体、単位と測定法、原発の原理
<第2章>放射線の実験 : はかるくんをもちいた実験(環境放射線量の測定、距離と遮へいによる減衰の確認など)
<第3章>福島の現状 : 放射線の生体への影響、現在の福島の線量や食品検査の結果、甲状腺検査の結果と課題、放射線以外の健康影響
<第4章>福島の課題 : 現在の原発の様子と課題、現在の福島県の人口などの状態、風評被害とその原因、新型コロナウイルス感染症との類似性
終盤での議論:「モニタリングポストを撤去すべきか」
<第5章>福島の努力 : 避難指示解除地域の現在、福島の人の震災後の努力、復興のポジティブな側面
終盤での議論:「東日本大震災の教訓は何か」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◎生徒の感想

・今回、この授業を受ける前は「汚染水」と「処理水」が同じものだと思っていたし、もう福島の放射線量は他県と同じかそれよりも低いことも何も知りませんでした。授業内でもあった通り、「何か分からないけど放射線って怖い。福島の向こうの地域はまだ危険だ」と思う立場の人でした。しかし、今回の授業を受けたことによって福島県民で震災を経験した立場のくせに何も知らな過ぎたと思い知らされました。私が3歳のことに起きたからこそ両親や祖父母が敏感になり、外出できなかったことも少し納得ができました。以前、祖母と処理水海洋放出について「何か怖い、いやだね」という会話をしました。今ではどこが安全で大丈夫かしっかり分かります。また祖母と話してみようと思いました。「無知ほど怖いものはない」心においてこれから生きていきたいです。  (1年女子)

・私は3歳のときに震災にあって、避難してきましたが、郡山の小中学校で放射線に関する差別を幸いにも受けたことはありません。ですが、子どものころから差別を受けて精神的にダメージを受けている人がいることを聞いて、とても悲しいし悔しいです。正しい知識がもっと広まってほしいと強く思ったし、自分もまだまだ知らないことがたくさんあるので、ちゃんと知ろうと思いました。私の祖父は○○に帰りたいそうですが、私の母は、私が学校に通っているし、郡山に住み慣れたから戻らないと言っていました。私も正直、記憶がしっかり残っているわけではないので、戻りたいとは思いません。でも、夜ノ森の桜は今も覚えているし、大好きです。桜祭りの日ににぎわっているのを見ると、とてもうれしいです。自分に何ができるか、具体的には分からないけど、話を聞いたり実際に見たりして、考えることから始めたいです。(1年女子)

・今回のお話しを聞いて、「安心」と「安全」の大きな違いを感じた。自分の中で「復興」という言葉はもう古いものなのではないかと授業前の時点で考えていた。しかし現在の福島の状況やいまだになくならない風評被害のお話しを聞き、復興がどれくらい進んでいるのか全然分からなくなってしまった。個人個人の立場で「復興」という言葉が違う意味を持つことなのかなということが知れた。授業では、放射線についてもいままで自分が知らなかったことも知ることができ、相双地区や原発に以前よりも興味が持てた。自分個人の心の中では復興は終わっていないと思う。復興というワードをいつまでも使い続けることがプラスになるかマイナスになるかは分からないが、復興に向けまずは自分から正しい情報を取捨選択していきたいと思った。 (2年男子)

・自分自身は避難を強いられた経験はないですが、最後に見た避難した生徒のリフレクションカードにあった「震災以上になるとは思えません」という言葉が印象に残りました。たしかに、震災によって避難した人がその地に戻ることは多くない気がします。改めて、復興とは難しいんだなあと思いました。
最初、私はこの授業に出るつもりはありませんでしたが、先生の熱意がすごそうだったのと、3月に受けた処理水の授業が面白かったので出ることにしました。正直、想像していた内容とは違いましたが、出てよかったと思います。特に、後半の福島の現状・課題・努力の話が印象的で、福島県民としてそのようなことを知れてよかったと思いました。原発事故による放射線の影響は少なくて安心したという事と、福島の復興は進んできたけど風評などの様々な問題があって大変だということです。これからもしかしたら何らかの形で復興に関わることがあるかもしれないので、そのときは頑張ります。本当に面白かったです。ありがとうございました。 (3年男子)

・安心を得るための食品検査が、不安を助長しているという話について、「危ないかも知れないから検査をしている」という検査のとらえ方もあると聞いて、驚いた。米の全袋検査が終わったのは大きな意味があると思った。
復興とは?再び安心して暮らせる状態にすること?震災以前より栄えた状態にすること?元の状態に戻すこと?今まで、復興とは何か言葉にして考えたことがなかった。聞かれてみると難しいと思った。友達とも話し合って、考えを深めたいと思った。
先生の授業を受けて、今までは科学的な知識を持たず新聞などの情報で不安に思うことが多かったが、正しい知識を持たず、漠然と不安に思う人も多いと思う。正しい知識を学ぶこと、そして伝えることの大切さを改めて実感した。NIMBY、Not In My BackYard (1年女子)

・私は当時5歳のときに大熊町から郡山市に逃げてきました。当時はよく分からない言葉が多く、ニュースをみても何を言っているのかさっぱりでしたが、当時ずっと聞こえてきたμSvや格納容器と言った言葉は今でも覚えています。そしてもう一つ忘れられないことがあります。それは放射能差別です。私自身は差別に会うことはありませんでしたが、正直めちゃくちゃ怖かったです。横浜市に避難した小学校の男の子が差別されたというニュースは今でも覚えているし、自殺者が出たという話も覚えています。学年が上がるにつれ事の重大さを自分なりに思い知りました。あの日ニュースを見て以降、私は出自を聞かれたときは必ず「郡山」と答えていました。△△とは絶対に応えませんでした。また、私の父が東電の関係企業に勤務している、ということも伝えませんでした。ですがこの時、自分といつも遊んでくれていた3人にだけ打ち明けました。そのときは「絶対このことは秘密にしてほしい」と言いました。いじめられるかも知れないと考えたからです。
ですが、こんな日々は中学2年生のときに変わりました。きっかけは福島駅伝の「大熊町チーム」としての出場です。当時私は陸上長距離の選手でしたが、大熊町の方から連絡が来て出場することになりました。私が出場する、という話はもちろん同級生、顧問にばれました。当時私はそれがたまらなく嫌でした。ですがクラスメイトは私のことをすごく応援してくれました。駅伝が終わって次の学校の日、私はクラスメイトから暖かい言葉をかけてもらいました。その瞬間、「自分は大熊町民だと名乗っていいんだな」と感じました。
そして去年、同級生から誘いがあり、浜通りの震災学習会に参加しました。ここまで浜通りをちゃんと回ったのは初めてのことでした。私はそこで初めて、「ふるさと大熊」に戻ってきたんだな、と感じました。
私は幸せ者です。放射線差別も東電差別も、私が危惧していたことは一切受けずにここまで来ました。当時5歳だったからこそ当時の記憶も両親のように何でもかんでも残っているわけではなく、断片的であったからこそ、原子力問題に積極的にかかわって行ったり、震災について気後れすることなく真正面から向き合っていけるのではないかと感じています。ですが、やはり幼かった私が暮らした大熊が、再開発のためとはいえ消えていってしまうことはものすごく寂しいし、悲しいことです。(現状もうすでに、私が大熊にいたことを示すものは大熊には残っていません)
だからこそ、このような悲しい思いを未来の世代にはさせない、次の16万人を絶対に許さない、どんな差別も許容しない、そして、あの日のことを今のことを、当時の記憶を持つ「最後の世代」として、自分の言葉で発信していくこと。これが私の人生のやるべきことだと考えます。今日はものすごく考えさせられました。 (3年男子)